家の娘が富裕

グルに計算していたほうが賢明である。失恋自殺など、視野が狭過ぎる。太陽が明日もまた昇るように、恋はつねにあたらしくよみがえるのである。愛だけでは越えられないもの知っておくべき現実若い男女が恋愛状態になる。当然、ふたりはアプリ 出会い で結婚を考えはじめる。ところが、女の両親が反対する。反対する理由はさまざまである。女はそこで両親に反逆する。あくまでも反対しつづける親から離れて、恋人と同棲し、結婚する。よくあるケスだ。ぼくくらいの年になると、何十件となくこういうケlスを見聞きしてきた。なぜ、女の親は反対するのか?まず重要なのはそのことである。「家柄がちがう。身分がちがう」場合がある。戦前は、これが圧倒的に多かったようだ。貧しい家の娘が富裕な家の息子と恋愛したときに、男の親が反対する前に、娘の親がそう言って反対した。「釣り合わぬは不縁の因」ということばがある。玉の輿に乗って果報なことだと考える親もいたが、その逆もいたのである。もちろん、富裕な親や由緒ある家の親が名もなく貧しい家の息子と恋愛したときの反対多くのおとなたちは恋が錯覚であることを知っているのほうが多かった。戦後はこの理由による反対はかなり減ったが、それでも現在なおあちこちで見られる現象である。結婚は、当事者である両性がするのであって、家と家とがするのではない。したがって基本的には、親の身分や経済力など、まったく関係ない。したがってこういう理由などによる親の反対は、心情としてはわかるにしても、正しいととではない。ところで、親の反対を押し切って愛する男と結婚することは、むしろその勇気と純粋さを褒めてしかるべきである。これをテマにした小説や映画は多い。すべて、若者の愛を謡歌している。外的条件によって反対する親は古くて無理解な人間として描かれる。そこまではよい。映画も小説も、若い男女のあたらしいスタートを以って完了する。ひとつのドラマのおわりである。しかし、人生そのものはそれで終了するのではない。そこから出発するのである。結婚したふたりは、愛によって強く結ぼれているかのように見える。あるいは、じっさいにそうかも知れない。そうであっても、現実はきびしい。愛は情念であり、生活の手段にはならない。愛でメシを食うことはできない。恋愛はハシカであるまた、人の心は不変ではない。ふたりは、愛し合う以前には愛し合っていなかったのである。すべて物事、はじまりがあれば終わりがある。