相手の男が交通事故で死んだ

周囲の反対を押し切って結婚した男女が、あたらしい出発をしてから三年経ち、五年経つ。その問、現実生活のなかで、ふたりは生きて行く。ある。「そんな人たちもいるだろう。でも、あたしたちはちがう」スタートに当たって、すべてのふたりはそう考えている。その心情は真実であろう。たそれほど強く結ぼれていたふたりなのに、意外に不幸な結末を迎えるケlスが多いのでだ、将来はだれも保・証できない。そこで、「たとえ失敗することになっても、自分は今の自分の真実に忠実に生きたい」と言う。基本的には、それでよろしい。親が胸の内ではわが子のその心情に同情しながらも反対するのは、おとなの体験によって愛の持続性について懐疑的になっているからである。現実のきびしさを知っているからである。「恋愛はハシカみたいなものだ」ということばがある。一過性のものだ、という意味であ。ス人は恋に陥ると、その恋を、「絶対」と思い込んでしまう。ところが、多くの恋を体験して見聞しているおとなたちは、それがそうではないことを知っている。ある女が、ある男と熱烈な恋をした。やがて、相手の男が交通事故で死んだ。当然、女は悲嘆に打ちひしがれる。後追い心中をしようとしたり修道院に入ろうとしたりする。二年後、その女はあたらしい恋を得る。死んだ恋人のことを忘れたわけではないが、それはそれとしてあたらしい恋人に夢中になって行く。相手の男は、何も死ななくてもいい。大恋愛の末に周囲の反対を押し切って結婚した。男は仕事の関係で、一年のうち半分は別れて住むようになる。女にあたらしい恋の対象があらわれ、女はそのあたらしい男の許に走る。離れて住む場合があるときだけにかぎらない。ずっといっしょに暮らしていても、女は〈男も〉あたらしい恋をするのである。恋をしなくても浮気をする場合がある。浮気をしなくても、夫への愛がしだいにうすらぎ、そのうちにいっしょに暮らすのがいやでいやでたまらなくなる場合がある。愛の幻影が覚めるとき学生時代のことである。夏休み、ぼくは帰省の列車内にいた。ぼくの前に、五十前後の男が座っていた。弁当をひろげ、ひとりでちびりちびりとウィ,スキーを呑んでいた。やがて、彼はぼくにウイスキーを勧めた。ぼくは再三遠慮したが、やがて、ハあ、この人、話相手が欲しいんだな〉と思い当たったので、その好意を受けることにした。ぼくとその男は話をはじめた。そのうちにその男は、「キミ、恋愛をどう考えるかね?」と質問してきた。
参考記事:アプリ 出会い